ボランティア募集

令和学校長 緊急提言

【令和学校長 緊急提言】

 東日本大震災からちょうど1年となる9年前の3月11日に災害ボランティア団体「九援隊」が誕生しました。
 その頃までの九州は、比較的大きな災害が少なかったため、九援隊の初出動となった長崎県島原市の高潮被災地では、災害ボランティアセンターも設置されず、「災害ボランティアに来ました」と言うと何それと言われ、家の中の片付けには怪しまれ入れてもらえず、外で土嚢を作るのさえ地域から警戒されるといった時代でした。
 九州の被災地で県外からの災害ボランティアを見かけることはほとんど無く、当時の九州は災害ボランティア不毛の地とさえ呼ばれていました。
 その年の7月に発生した「平成24年九州北部豪雨」は、九州の災害ボランティア元年と呼べるような、大きな転機となりました。
 福岡県内だけでも星野村や黒木町、うきは市といった当初災害ボランティアセンターが無かった被災地へ、九援隊は1年間で延べ2,500人もの災害ボランティアを派遣しました。

 当時のNHKニュースでもこうして報道されましたが、発災から1年後の国土交通省が主催する参加者600人の講演会にも呼ばれ、九援隊は災害ボランティア活動のパネル展示を依頼され、その際、災害ボランティア募集チラシを配らせていただきました。
 九州大学の小松利光名誉教授が講演で話されたとおり、その後の九州は「経験したことのないような大災害」に毎年のように襲われ続けました。
 この時小松先生から教わった時には新しく感じた自分自身を助ける「自助」、家族や地域で助け合う「共助」、国や自治体・消防などの「公助」といった分類が、最早、今の時代にそぐわないほど、災害ボランティアは進化しました。

 「令和学校」では、NPO法人などの災害ボランティア団体が果たせる能力が飛躍的に進化し続け、被災地の復旧復興において欠かせない存在となった今、コロナ禍でもその重要となった役割を果たせるように、これまでの「共助」と「公助」の中間に位置付けられ、県や地域をまたげるコロナ禍で生まれた新たな概念として、4つ目の「志助」の創設を提案し、国の政策転換を求め、「志助」へのPCR検査補助やワクチンの優先接種といった補助創設を提案し、コロナ禍で梅雨末期豪雨などが発生した際に後手後手にならないような対策を求めていきたいと思います。

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